ちいさなお国から世界へ、与える人に
1990年代テレビの国際ニュースで毎晩報道されたヨーロッパの国があります。
人口わずか710万人、国土面積8万8000平方キロメートル、TENNISの伝統がほとんどない小さな国から
後に6名もの世界で躍動するTENNISプレイヤーが誕生しました
お一人は世界的なプロテニスマンへ、そのお二人はシングルス、ダブルスで世界№1に。
この偉業は1970年代半ばから1990年代末までTENNIS界を大活躍したヨーロッパのスウェーデンというお国に
匹敵する黄金時代。
夢見たチャンピョンへ駆け上っていた、世界の平和を心から願うひとりの男でもある、このお国のあるかっこいいプロテニスマンのお話です。
2005年1月オーストラリアでグランドスラム本選出場を果たすが初戦敗退
20歳、2008年1月オーストラリアで初のグランドスラムチャンピョン
スイスのロジャーフェデラーさん、スペインのラファエルナダルさん同様、トップのアスリートに多くお見受けする特徴であります
品位ある行動と礼儀正しさ、、、そして時にほと走る情熱、、、の持ち主
クラシック音楽にもとってもくわしく、心を落ち着かせるために聞くようになったのは、幼少時、
TENNISの戦略を立てるのに視覚化がたいせつと、音楽を聴き、何を想い、何を感じたか、どう感じたか、視覚化の練習をしていたようです
ある時、、、ある企業とスポンサー契約を結ぶことになりました、グローバルブランドアンバサダーに。
世界的な有名なスポーツメーカーも契約交渉で、契約金を上げてくる中、世界戦略で、どうしても世界ナンバー1のアスリートと契約をしたかった企業と、、、
2年くらい契約交渉を続けていたようです、、、
その企業はある切り札となる提案を行ったと聞きます
「欧州市場に進出する際、あなたの国に、工場を創ります」
それは、祖国の雇用をつくり、祖国の豊かさに通じることを意味していました。
そのプロテニスマンは、11歳12歳の時期、誰もが思い出したくない時期という時間を過ごしました。
そのプロテニスマンのママとパパは、当時、すべてをかけて彼を隣のお国に逃しました。
プロになり幼少時を振り返る際このようにコメントをされたようです
「僕はテニスを上手くなるためにプレイしてこなかった、勝つためにの練習をしてきました、上手くなるための方法でなく、勝つための方法を追求してきました」
テレビに映る、このTENNISマンの躍動の根底には、愛、があるのではないでしょうか。
みんなのママとパパも同じだと思います。人間のがんばるという思いの根底には、愛や感謝の思いが共存しています。
大人の世界のお話だけど、経済とは、雇用を創出し、社会を豊かにすること
世界最高峰のTENNISの舞台で躍動するプロテニスマンは、ふるさとの経済も考えて意思決定しました。
あなたは、何のために、プレイしますか?何のために、その命を、使いますか?
そのプロテニスマンは、ふるさとで「生きるための小さな学校」プロジェクト、小さなお子様方が夢を抱き夢を実現できるサポート環境整備や、おもちゃ図書館など、幅広く活躍されています。
みんなもTENNISが上手いだけでなく、強いだけでなく、品格ある行動と礼儀正しさを育み、世界の平和と繁栄に貢献する人間へ成長していってほしいと願います。